喜多流 青年能

土曜日は目黒で第二十八回 喜多流 青年能を観てきました。今年の1月に観た大学生有志の主催で行なわれた若者能と同じ能楽堂でしたが、今度は普通の(?)喜多流職分会の主催による若手能楽師の活躍の場である(たぶん)青年能です。

喜多流には有望な若手がたくさん育っているんでしょうねぇ。それはこの演目をみてもらえればわかると思います。

能が三曲ってはりきりすぎ。12時開演なんですけど、終わりは 17時頃予定*1とか。しかも自由席なので開場 11:15 の前から並んでいたので実質6時間以上の長丁場。マタイ受難曲も目じゃねぇぜ。おにぎり持参で頑張ってきました。

落葉は源氏物語に取材した曲で、女三宮の姉で柏木の正妻であった二宮(落葉宮)の霊が出てくる話です。今年は源氏千年紀ということで、横浜能楽堂で行なわれている源氏能を観ているので、そこから漏れている源氏ものを観ることができたのは幸いでした。しかもこの落葉は喜多流のものともうひとつの金剛流のものとでまったく異なる曲なんだそうで、落葉宮ってけっこう地味な役どころですしマイナーそうなので貴重な経験だったんじゃないかなと思ってみることにします。ちょっと笑ったのは解説に「大正大成版の謡本にはシテが雲井雁とされていましたが、落葉宮に訂正し」たと書いてあったことで*2、その間違い方はひどいだろと。関係ないけど雲井の雁萌え。

あともうひとつ、枕慈童は珍しく中国が舞台の曲で、魏の時代のお話なのですが、その更に700年前に帝の寵愛を受けていた慈童(ってやっぱりお稚児さんみたいなものなんですかね)が帝から経文を記された枕をもらっていて、そのおかげで不老不死になったみたいな話なのですが、その枕に記されてるのが法華経。うーん時代が合わないんじゃね……と思って調べてみようと思ったら、Wikipediawikipedia:魏の項目がいっぱいあって焦った。多分中国戦国時代の魏のことじゃないかと思うのですが、これだと紀元前225年くらいまでだからその時点で法華経の成立前。もし三国時代の魏だとしても西暦220年 - 265年とあるのでその更に700年前では成立前。しかし南北朝時代にまで下ってくると意外と微妙になってくる……。うーんその場ではありえないなぁと思っていたけどわかんないですね。

しかしやっぱりちょっと疲れました。とりあえずどのお能もせめて舞のところはしっかり観ておきましたが、春日龍神の前シテとかほとんど記憶にないです。春日龍神の間狂言の謡というか語りがまた長台詞で(というかしばらくのあいだ間狂言に入ってたことに気がついてませんでした。面を付けていたし、台詞回しも狂言っぽくなかったので)内心「うわーどれだけ喋るんだろう」と思っていました。

*1:たいていお能では上演時間は明記されないようです

*2:雲井雁は光源氏の息子の夕霧の正妻。で落葉は柏木の死後夕霧に言い寄られるので、落葉宮と雲井の雁は恋敵