能 玉鬘

源氏物語千年紀を記念した源氏能の第3回目。横浜能楽堂にて。
今回は喜多流による「玉鬘」。夕顔の娘の曲です。

この曲、とてもスタンダードな構成になっていますね。僧(ワキ)が登場して、女(ツレ)が現われてなにやら意味深に故事を語ったりして、自分が幽霊であることをほのめかして去る。間狂言では地元の人間が昔語りをして由縁を知らしめて、後場では正体を現わした女を僧が供養して成仏する、というテンプレートから、はみ出る要素がほとんどなく、極地味な印象を受ける曲です*1。舞もあまり派手なものではないし、女の懊悩というのもいまひとつ具体性がないものです。

この特徴がないということがこの曲の特徴なのですね。この曲では玉鬘が何をそんなに思い悩んで成仏できずにいるのかというのがはっきりとはわからないようになっています。間狂言で語られる内容も後場での謡にもそれらしいことをはっきり示しているところがないようです。原作を引いてみても、玉鬘は若い頃こそ苦労はしたものの、最終的には太政大臣の北の方として仲睦まじく幸福になった、ように思えます。

少し昔までは、この曲で玉鬘は母親(つまり夕顔)への恋慕の思いから迷っているのだという解釈が多かったとか。それはなんとも腑に落ちない解釈です。馬場 あき子さんの解説では、結婚する前に蛍兵部卿宮など雅びやかな貴人に競って求婚され、父親代わりの源氏にも密かな愛情をほのめかされた青春の日々が忘れられず……といった解釈を提示されていましたが、これもわたしにはちょっと……。こういう解釈をそれぞれに巡らせてみるのがこの曲の楽しみ方なのではないかと思いました。

そんな曲ですが、今日のワキの声の通りの良さや地謡の快適な子守唄ぶりがすばらしくとても気持ちいい公演でした。シテの声がちょっと聴き取りにくかったような気がしましたが。少し不調だったのかも。なんとなくですけどね。

*1:前場でシテが初瀬の情景を案内する観光ガイドみたいなことをするところはちょっと面白いですけど。