ランキングの弊害?

Yahoo!の書籍ランキングをみると2004年1月19日現在新書コーナーベスト10では養老孟司氏が「バカの壁」を筆頭に5冊(共著含む)もランクインしていますね。

しかしいくら何でもこの売れ行きは異常な気がしてしまいます。養老氏の著書が面白く鋭い洞察に富んでいるのは確かだと思いますが、その潜在的読者がこれほどにいたとは驚きです。ここまでのロングセラーになったのはもちろん優れた内容があってこそだとは思いますが、正直言って純粋に内容だけでここまでの売り上げになっているとは思えません。

バカの壁」は別ですが、私からみて「何でこんな本がずっとランクインし続けてるんだろう?」と首を傾げずにいられないものもあります。もちろん主観的な感想なので私の趣味に合わないものが売れたってまったく困りはしないのですが、好き嫌いは別としてランキング上位の書籍はいったん上位に食い込むと「ランキング上位である」というそのこと自体が宣伝効果を持ちより売れる、というフィードバックがあることは間違いないでしょう。これは書籍のみならず CD・DVD・映画その他あらゆるメディアで同様の現象があるといえましょう。

私はこうしたフィードバックそのものは否定する気はありません。また売り上げランキング等の提供自体も否定しません、というか否定しようがありません。売り上げは集計可能でしょうし、集計すればもっとも売れたのはなんだったろう? という疑問はしごく当然だと思うからです。

しかし現代ではこのフィードバックに依る揺れの影響があまりに大きくて健全な状態ではないのではないだろうかという危惧はあります。良い書籍、良い映画、良い音楽がその品質によって評価されるというよりは「より売れている」からこそ売れる、というのはひどく不自然な状態に思えます。

最近の日本の出版業界、音楽業界はいずれも不振に苦しんでいるんだそうです。でも今これらの業界は、ランキングに載せれば売れる、お金をかけてプロモーションすれば売れる、大衆の心をつかめば売れる、一発売れればでかい、という考えにとりつかれて作品本体には目が向いていないように思います。

この状況でどんな対策が有効なのでしょうか。ランキング発表をやめるというのは非現実的なだけでなくあまり有効でないでしょう。結局消費者がランキング情報を欲しているのですから誰かが提供します。

より有効だと思うのは、もっとランキングを多様にしてしまうことです。「俺ランキング」「私ランキング」。どこが発表しても大差なくなってしまう売り上げや販売数などを元にしたランキングの他に、主観的に作品を吟味してランキングをする人が必要なのです。業界はこういった専門家を育てることを考えるべきでしょう。消費者は「俺が最近注目してるのは○○さんのランキング」というように、売り上げランキングに従うよりも、参考にするランキングそのものを選ぶのです。著名人が選ぶDVD(追記:リンク切れのためリンクは外しました)の様なリソースがもっともっと必要だと思うのです。

また多様性が重要という観点からいえば多くの作品がでてくるということが大事だと思います。一つの作品がどれだけ売り上げたかで勝負するのでなく、作品の多様性で消費者の消費欲をくすぐることが再生への鍵だと思います。ただそうすると個人が全ての新作をチェックするというのは不可能です。Amazonのお勧め機能のようにシステムがこの負担を軽くしてくれるかもしれませんが、このチェックを代行してレビュー/ランキングを行う専門のレビューア/ランカーが必要になるでしょう。こうしたレビューア/ランカー自体も多様でなくてはいけません。多種多様な専門家から消費者は自分の信ずるレビューア/ランカーをピックアップし、そのレビュー/ランキングを参考にコンテンツを選別するのです。レビューア/ランカーはより審美眼を豊かにし優れたコンテンツを紹介し続けることで自らの信頼を高め、自分のレビュー/ランキングの購読者を増やすのです。

そうすればレビューア/ランカーのランキングができるだけ? 確かにそうです。本質的解決法ではありません。