Ruby1.9.2 は Ruby2.0 になるべき?

Why technical marketing is important for programmers | Programming Zen

Antonio Cangiano 氏のブログ記事より。

オープンソースのプロジェクト、プログラミング言語、ソフトウェアプロダクトetc.. これらはモノが良くてもそれだけで普及するわけではない。適切な宣伝やプロモーション活動で潜在的な利用者にアピールして、使ってみてもらわないと内容が優れていてもそれを知ってもらえない。こうした技術的なマーケティングも重要だということが述べられています。
また不適切な意味を連想させるような名称、発音しにくい、またはどう発音するのかよくわからない名称も普及を妨げる要因になり得るし、またインストールやセットアップが煩雑だったり、マニュアルがわかりにくかったり、サイトがごちゃごちゃしてたりというのも利用者の障壁をひき上げてしまいます。なんだかちょっと耳が痛いです。

ところで上のエントリで技術的マーケティングがうまくいってない例として、Ruby1.9のことが引き合いに出されています。

Rubyではバージョン番号の2桁目(minor)が偶数が安定版、奇数が開発版という慣習に則って長らくリリースされてきました。この慣習はRuby独自というわけでもなくて、Linuxカーネルなど他のオープンソースプロジェクトでも同様のルールに従っているものがあります。ところが1.9になってからは、1.9.1 が「安定版」としてリリースされていて、もうじき 1.9.2 がリリースされます*1
これはこれまでのバージョンの採番の規則に反しているので、混乱の元になるしユーザにこれが安定版であり正式なリリースであるということを伝える妨げになっているので、1.9系で安定版としてリリースするもの(つまり 1.9.2 以降ですね)を Ruby2.0 としてリリースすべきなんじゃないか、という主張がされています。

おそらくRubyのコミュニティでこういう議論は既に何度か話題にのぼったことがあると思います。古くからの Rubyist は、コードネーム Rite という名前で示される Ruby2.0 というバージョンに、あれやこれやの新機能がいっぱい詰まった、様々な問題を解決してくれる夢の新言語、という共通幻想を持っています。わたしの知る限り1.4の頃には既にRiteというコードネームはあったように思いますから、その頃は2.0なんてずっと先、と思っていたのかもしれませんね。それでつい 2.0 というバージョン番号が聖域になってしまっているというのはあるかもしれません。けどそれってただの感傷ですよね?

わたし自身この共通幻想を共有しているほうなので少々名残り惜しい気持ちもありますが、1.9.2 またはその次の 1.9.3 が 2.0 になってしまっても良いんじゃないですかね。

なぜそう思ったかというと、Riteという共通幻想を共有している古き善き Rubyist は、新しく流入してきたユーザやこれから更に増えるであろう潜在的なユーザよりも数の上では少ない上に、これらのコアなユーザは ML を購読している可能性も高いし「こういう事情でこうなった」という説明が届きやすいし、それが充分に正論ならば納得を得られるんじゃないかと思うから。RubyKaigi2009 の Keynote で Matz も言ってた。Rubyist は正論が通じるコミュニティ。

「諸君らの期待してくれた Rite は 3.0 ってことになった。何故だ!」「10進数だからさ」

*1:現在1.9.2-preview1版がリリースされています